風に流れる浮き雲に邪魔されながらも、青い月あかりがぼうっと一軒の古びた空き家を照らしていた。もう何年も主無き荒れ庭には枯れ草が生い茂り、秋風に飄々と音を立てている。所々腐れ落ちた板塀には一面に蔓草と苔がへばり付いて、なにかしら妖怪でも棲んでいそうな風情だ。引き戸で出来た玄関の傍らには、一本の老木が落ち葉を散らせながら、まるで門番のように来る者を睥睨している。

宮下由美子が、町はずれにひっそりと佇む空き家通いを始めて半年が経とうとしていた。今夜も暗い夜道をひっそり歩く由美子の横顔は、憂いの翳りで被われている。辺りには寂れた工場の当直室から漏れる明かりと、店じまいした酒屋の軒先の看板灯が物寂しく月夜の道を照らしているだけだ。そんな人気のない通りを、更にしばらく歩いて右に曲がると、青白い夜空を背景にしてそびえ立つ、あの空き家の老木が見えてくるのだ。
枯れ草を踏んで、空き家の玄関に辿り着いた由美子を、じっと黒猫が見つめている。由美子は、得体の知れぬ不吉な予感におののきながら、ぎしぎしと軋む引き戸を開けて中に入る。上がり框から暗い廊下を進んでいった。廊下の左手にあるふた間の和室からは襖越しに、押し殺したような女の淫声と男の荒々しい息づかいが聞こえてくる。

(あぁ・・また今夜も・・・)

由美子は淫らな物音に耳を塞ぎたくなる気持ちを押さえ、奥の間の襖戸をそっと開いた。そこには灯油ランプの明かりの中に、いつものように源助があぐらをかいて座っている。壁に映った大きな影法師の肩が、まるで笑っているかのように、ちらちらと揺れていた。


「へへへ・・・ちとばかり遅かったじゃねぇか?今夜のお客様はもうお揃いだぜ。まぁいいや、さっさと裸になりな!」

由美子は悲しげに頷くと、源助の前で服を脱ぎ、産まれたままの一糸まとわぬ裸身を晒すのであった。

「何度見ても、あんたにゃ惚れ惚れするぜ。この空き家に来る女は、どれも絶品揃いだが、中でも、あんたが一番だな。どうにか、おまえさんと勝負できる女は、ここじゃ相原の奥さんくらいだが、それも体だけの事よ。あんたは、体だけじゃない、なんて言ったらいいか、こう体ん中から滲み出てくるような何かを感じるのさ。俺には分かるんだ。きっと、あんたは大昔にゃ天女だったに違いねぇや」

由美子の裸身を、つくづくと眺め回しながら源助は、そう言ってにやりと笑った。

「だがよ、ここに来る男どもには、到底そんなこたぁ分かりゃしねぇのさ。色と欲に汚れた目じゃ何にも見えやしねぇ。何の因果で、あんたみたいな女が、あんな連中に汚されるか俺には分からん。分かったところで、俺はどうもしねぇ。俺は己の定めを果たすのが勤め、あんたは、あんたの定めに従うのが勤めよ。」

源助の低い声が、ランプの瞬きのように静かに由美子の耳に響いてくる。泣いているような微笑みを浮かべ、源助にそっと御辞儀をする由美子。

「部屋は、玄関側の間だぜ。」

そう一言呟くと、源助は煙草に火を点け、ごろりと横になって由美子に背中を向けた。


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空き家の影法師