序章




鬱蒼とした深い森の奥に、聖女学院はあった。広大なキャンパスは、煉瓦造りの豪華な建物群が整然と立ち並び、高い尖塔と美しいステンドグラスに彩られたゴチック様式のカテドラルが聳え立ち、幾何学的なフランス式庭園と、緑豊かな自然に包まれている。しかし、学園は、こうした美しいキャンパス風景とは裏腹に、幾重にも高い塀がめぐらされ、部外者の接近を厳しく拒んでいた。


厳重な警戒態勢の下、銃を手にした屈強な警備員たちが常時巡回して、獰猛なドーベルマンが何匹も放し飼いにされている。入退場はいくつもの検問チェックを経なければならない。万一、侵入に成功したとしても、たちまち血に飢えた獣の餌食になることは明らかであった。過剰なほどの警備は、外部からの連絡を完全に遮断するためだけではなかった。そこで生活する生徒たちの脱走を防ぐためのものであることは明らかであった。


学院は寄宿制であり、そこで学ぶ女子生徒たちは、全国から狩り集められた美少女たちである。しかしここは、若い女にとって怖ろしい地獄の学園であった。少女たちを性奴隷として教育を施すための施設であったのだ。ここでは、娘たちは、主人の意のままに弄び抜かれる牝奴隷として躾けられる。性戯はむろん、牝としての心がまえや言葉遣い、立ち居振る舞いに至るまで徹底的に頭に叩き込まれるのだ。調教と訓練、肉交のつとめ、そして仕置きは凄惨をきわめた。若い娘たちの悲鳴と、泣き声が響き渡らない日はなかった。


各学年、各クラスには、少数ながら男子学生も混じる。将来、独裁国家の指導者層として選ばれた特権階級の子弟たちであり、ここで、エリート教育を受けるとともに、牝奴隷の調教と飼育管理の方法も身につけることになっていた。社会のリーダーともなると、多数の牝畜を所有し、管理しなければならない。国家財政にとっても、どれだけ優秀で美しい牝畜を育て上げることができるかは、きわめて重要な課題である。国内外の女肉市場において高品質の牝畜を大量に安定的に供給することことが求められていた。上流階級の家庭内での性処理のため、また、牝畜たちによる奉仕と接待は支配者層の間の交際・交流にも不可欠であり、どれだけ良質の牝畜を所有しているかは、エリートたちのステータス・シンボルでもあった。

 
男子生徒たちは、子供の頃から牝畜の世話と管理をするよう家庭内で躾けられていたが、より体系的で組織的な飼育管理技術を磨くためにも、人里離れたこの学園に籍を置くことが不可欠で、かれらにとって将来のエリートコースで成功を得るための必要なステップでもあったのだ。
男子たちは女子生徒に対する絶対権力を持ち、自由気ままにその肉体を蹂躙することが許されていた。女生徒たちは苛酷きわまりない校則の下で生活し、男子たちには絶対服従である。私語は厳禁、いたるところに監視カメラと集音マイクが設置され、娘たち一挙一動が観察されている。男子たちは、いつでも、どこでも、好きな時、好きな場所で、娘たちを玩具にして弄ぶことが許されている。いや、むしろ、それが男子生徒たちの義務でもあった。将来多くの牝奴隷を飼育し、管理する立場に立たねばならぬ彼らは、日頃から牝奴隷に厳しく接することが求められているのだ。女生徒たちの起居生活の一切をつねに管理監視しすること、夜間でも、女子寮に随時立ち入ってからだのつとめを果たさせること、一日一度は調教棟に足を運んで、娘たちの牝畜調教を実施すること一日二人以上を相手に肉交のつとめを果たさせること、毎日娘たちへの仕置きと拷問を欠かさないこと等が、男子たちに課せられたノルマであった。
憐憫や愛情は禁止され、娘たちにはできるかぎり、手荒く情け容赦なく接することを義務づけられていた。しかし、牝畜の扱い方は、日頃から家庭内で躾けられていたので、牝畜候補である若い娘たちへの対応はさほど違和感なく受け入れられていた。むしろ、郷里に牝畜を多数所有する仲間たちがいることは、彼らにとって望ましい環境の変化といえた。将来、国家を背負って立たなければならない指導者層たちの連帯感を高めるために、牝畜の効果的な調教や飼育方法をめぐって、情報を交換しあい、あるいは新しい牝畜の獲得手段や、日常の牝畜の扱いかたなどで話題が盛り上がることも多い。自分たちの父や兄たちがどれだけ、優秀で美しい牝を飼っているか、ビデオや写真を持ち込んで自慢する者も少なくない。








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